信州りんご発祥の地 赤沼

100年以上続くりんご産地・長野市赤沼は「信州りんご発祥の地」と呼ばれています。長野県では明治7年(1874)からりんご栽培が始まり、明治30年(1897)には比較的大規模な「経営的栽培」が赤沼で始まったとされ、そのことから信州りんご発祥の地と呼ばれるようになりました。また、このことが国道18号線沿いの地域が「アップルライン」と呼ばれるようになった所以でもあるのです。
アップライン 石碑
アップライン 石碑

りんごの生産量が全国第2位の長野県

長野県は全国第2位のりんごの名生産地です。また長野市の生産量を全国市町村別で比べると、青森県弘前市に次いで第2位の生産量を誇り、もちろん長野県内では、県下第1位の生産量となっています。
長野市の北東部に位置するアップルライン沿いの長沼地区 赤沼はその中でも中心的な生産地。りんごの果樹園とりんご農園が立ち並び、実りの時期になると例年では全国から多くの方がりんごを買い求めてやってきます。(グラフは都道府県別りんごの生産量)

りんご生産量 円グラフ
赤沼 地図

長沼地区 赤沼は千曲川と浅川に挟まれた南北に長い地域に位置します。いまでは地区の北西を北陸新幹線が走り、車窓からもその美しいりんご畑を望むことができますが、古くは長沼城(信濃島津家)の城下町として栄え、北国街道の宿場町があった地域です。

古くより名家の多い地域で、水田や田畑も多く農業も盛んに行われていました。明治中期においては「養蚕・綿・菜種」などが農家の収入源となっていましたが、大正時代までは大雨のたびに千曲川が氾濫し、水害に悩まされてきた地域でした。国道18号の赤沼交差点の近くにある新幹線車両基地の入り口には、その歴史を残す「善光寺平洪水水位標」が建てられており、寛保2年の大洪水水位はなんと5.3メートルに達したとされています。

養蚕 綿 菜種

長野県最大のりんご産地へ

赤沼は、明治18年(1885)〜明治30年(1897)に発生した度重なる水害で桑畑は甚大な被害を受け、養殖していた蚕も破棄するほどの被害があったそうです。そのため、養蚕に変わる農業の開拓が急務となっていました。当時、赤沼に住んでいた何人かがりんごの苗を入手し植えて育てはじめると、数年後の水害の際に「りんごは水害に強い」と見て取れるようになり、明治40年(1907)ころには4、5軒の農家がりんごの栽培を行うようになりました。これが信州りんごの先駆けとなったのです。
それまで養蚕を行っていた農家が、りんご栽培へ転換するのは、決して簡単なことではなかったでしょう。しかし、赤沼を長野県第1位の一大りんご地帯に成長させたのは、水害に負けず創意と努力を惜しまなかった先人たち。信州りんごの歴史は、まさにこの赤沼から始まりました。
そして、明治44年(1911)には長野県から水害のお見舞いとしてりんごの苗木2本が当時の長沼村全戸に配布されたことも追い風となり、赤沼だけでなく隣の津野地区へも栽培地域が広がり、地域の大規模農家が本格的にりんご栽培に乗り出したことで、この地域におけるりんごづくりが本格的にスタートしました。

アップライン 赤沼 民家
アップライン 赤沼 民家
民家の周りはりんご畑で埋め尽くされている

肥沃な土壌と栽培技術の
成熟が美味しいりんごを育む

生産が開始された当時は栽培技術が十分に確立されておらず、消毒や剪定などの技術は大正時代になってからこの地にもたらされました。栽培技術は、大正末期にかけて急速に普及・向上し、りんごの栽培面積は拡大。それまで自営業だったりんご農園の多くは、昭和10年代以降に大規模経営へとシフトしていったのだそうです。戦後の昭和25年(1950)の 統計では、当時の長沼村(現在の赤沼・長沼・穂保・津野地区)のりんご園は198.2ha(東京ドーム約42個分)に達し、大正10年(1921)50.0haの約4倍まで拡大しました。

この頃には、長野市の商人がりんごを買い集め、県外への出荷をはじめました。国有鉄道信越線の吉田駅(現 JR 北長野駅)前に信州果実出荷組合の出荷所ができ、各農家がここへ出荷するか,飯山鉄道豊野駅(現JR豊野駅)より出荷したのだそうです。その後、長沼園芸農業共同組合が結成されると、赤沼集落内にある複数の集荷所に集められたりんごは牛車で豊野駅に運ばれ、主に関西市場へ出荷されていきました。
昭和10年代には品種も多様化。それまでほとんどが倭錦でしたが紅玉、国光、祝が主流になって行きました。昭和30年代になると栽培の技術もさらに進化し、動力噴霧器(スピード・スプレイヤー)の導入などにより、より効率的な栽培が可能になりました。
さまざまな歴史背景の中で、長野市赤沼のりんごは全国的にも知られる、信州りんごの代表格となったのです。

スピード・スプレイヤーが長沼地区へ スピード・スプレイヤーが長沼地区へ
りんごの売店 りんごの売店

現在の信州りんご

現在の長野県のりんご作付面積は、2012年をピークにやや減少傾向にありますが、赤沼の信州のりんごは、たびたび土壌が更新されたことによるミネラル豊富な土、標高が高いことによる昼夜の温度差、近隣の山々から流れ出る豊富な湧水などの生育環境から、甘く、蜜が豊富に入った果実であることから、非常に人気が高く、今もなお信州土産の代表格として、秋の信州を彩ります。(グラフは長野県の年度別りんごの作付面積と収穫量)

りんご
りんご 収穫量

豊富で多様な信州りんご

成増農園は、ご紹介してきた長野市赤沼地区にお店や果樹園があります。赤沼地区で栽培されているりんごの品種は豊富で、8月下旬〜11月までの期間をりんごの旬と呼ぶことができます。早生種であるサンつがるやシナノドルチェに始まり、紅玉、秋映、シナノスイート、シナノゴールド、あいかの香り、王林、ぐんま名月、そしてサンふじと次々と特長のあるりんごたちが出荷されていきますので、ぜひ旬の時期を通してとれたてをお楽しみいただけたらと思います。

収穫 カレンダー


参考文献:「長沼村史」長沼村史刊行会(昭和50年)